今はまだ一人にはなれない
事あるごとに口にするあなたの「好き」が痛い
視線は引っ掛かる事なく、するりと、床に落とされる
浮かんだ点が滲んで、曖昧な疑問符になる

また一枚、薄水色が剥がれた冬の空は
一年前とは、きっと何か違うのだろう
僅かに、でも決定的に

誤魔化すように二人してめいいっぱいはしゃいだ週末は
なんだか搾り滓のような疲れが残る

これを抱えたままで、まだもう少し
もう少し歩いていこうと思う
情けないあなたと狡猾な私
頼りない二人
ここ最近、このブログ消してしまいたい衝動よくに駆られる。
思えば2004年から書き続けてきたのかぁと思うと
それはそれで感慨深いのだけども。
2004年当時、ブログってものは今ほど「公共の場」のようには扱われていなかった。
本当に個人的な日記のようでしかなかったと思う。
ブログを書籍化するなんて斬新だったし
ネット繋いでるだけでオタクって見られたりする部分もあったのかも知れない。
私もそれほど深く考えずに、よりにもよってアメブロとか作っちゃったんだよな。
あの頃のネットと現実の間には安っぽい壁があって、
私たちは壁の向こう側から紙コップをあてて聞き耳でも立ててる、子供みたいなものだった。
見えないからこそ興味が湧き、同じ声を聞こうとたくさんの人が群がった。
今じゃ、ネットはマジックミラー。しかもこちら側は鏡、自分の姿しか映らない。
でも向こう側では、不特定多数が見世物パンダよろしく眺めているんだよなぁ。
ちょっと誤字脱字や何だので馬鹿呼ばわりされてさ。
嫌だよな。こんなの。
なんでネット上でさえ自分自身を繕わなくてはいけない?
なんで常に良い大人であり続けなきゃいけない?
疲れるよね。
そんなわけでmixiも辞めて、Twitterも放置してる。
ここも誰も読んでいないことを祈りつつ、コメント欄消した。

…誰も読んでないよね?ここ。
じゃあ好き勝手書かせてもらうよ。笑

とは言っても、もう書きたいこともそんなにない。
ここで散々弱音吐かせてもらって、現実では頑張ってこうって腹だったけど
今の私は弱音吐けば吐くほど自己嫌悪に陥るだけだし。

今日はね。
せっかくオナニーしてふわふわ気持ち良く寝れそうだったのに
どうでもいい嫌なこと思い出しちゃったんだよ。畜生。

くだらない大人になった。
とにかく仕事も恋愛もいろいろ選択間違えたぁ。
まだ今からでもやり直しきくかな?
でもそれだって勇気が要るよね。
やらずに後悔するならやって後悔しろ、という言葉は私は間違ってると思う。
やって失敗すれば、確実に失うものがある。取り返しのつかないことがある。
リスクを負ってなお、やるかやらないか決めないといけないのだ。

またグダグダしてきたから寝るけど…寝れんのかな。





身体を横にして
圧迫される首筋、寝苦しい
腐ってしまったのかな、内側から
だけど幕を下ろしたがらない、目蓋

静まれよ、ぼくの脳みそ
そう問いかけ、耳を傾ける

そっと、宇宙のうた

たくさんの事に興味がある
もうぼくには関係なくなった世界

消さなくてもいい?
過去がそんな淋しそうに、だから
そうだね、宥めてあげる
優しく、やさしく…

静まれよ、ぼくのぽんこつ
たくさん、思い出して


これで心療内科は4件目になる。

ただ、病院は薬を出してくれるだけで
当然社会復帰の手助けなんかはしない。

薬のちからを借りて、辛さが少しでもマシに、
あるいはマシになった気がするのであれば儲けものだと思う。
けれど、どんな病気にも言える事、本人に治す気がなけりゃ治るものも治らない。
病は気から、というのが間違いではないように。

それでも社会復帰に関しては環境、周りの人の協力も必要になってくる。
これこそが、うつ病の難しいところではないかと思う。
上手く協力を仰げなかったり、理解が足りなかったり。



こんな事。
こんなふうにまわりくどい事が言いたいんじゃない。




私はただ、誰かに話を聞いて欲しいだけ。
言い訳がましく、惨めで情けなくてどうでもいい話を
出来れば誰にも聞かせずに済ませたかった、でも聞いて欲しい。
「私のことをわかってくれと言う権利は誰にもない」とわかっていて
それでも聞いて欲しい。ただの泣き言。

そうやって友達を失うのはもう懲り懲りだった。
恋人を疲れさせたくなかった。家族に心配かけたくなかった。
話を聞いてくれそうな人を、わざと自分から遠ざけた。
私は、一人で生きていきたかった。
それが無理だと気がついても、やっぱり自分を守りたかった。

だからわざわざ、こんなところで吐き出してしまうんだろう。気持ち悪い。

辛かった過去を思い出して、また自分で自分を追い詰めて。
悪循環が止まらない。
眠れない。
動けない。
薬なんか、飲んだって!

一生治らないのなら死んだ方がマシ。
少し楽になった時は、なんであんなに考え込んでたのか
笑っちゃうくらいアホらしく思えるのに。
現状変えられなければ、結局一緒だし。

誰も、人の事構ってる余裕なんかないって。
どいつもこいつもしんじまえ。


私は、人間のかたちをしているのが精一杯です。

早くさっさと人生が終わってしまえばいいのに。


死が救い。そう思えてしまうこの時間が愚かで怖い。

夢を見ていて、覚める瞬間の苦さが、いつまで経っても離れない。


私は、キャリアウーマンになりたかった。ただそれだけの事。
2012年1月4日。
残り物のおせちをつまみながら、夕方テレビを見ている。
「元旦は仕事で行けそうにないから・・・でも、三が日終わるまでには顔出そうと思ってる。数の子、置いといてよ。」
そう言って、結局4日になってしまった。
本当は3日も休みをもらっていたのに、身体がだるくて家から出られなかった。
それなのに、本気で数の子置いてくれてるとは思わなかった。味が染みすぎて、少ししょっぱい。
お母さんはその事については何も言わず、私も何も言わず、お爺ちゃんが炬燵で横になってテレビを見ている。静かな食卓。
「これはアカン。このおっさん、アカンわ。」
お爺ちゃんがテレビに向かって話しかける。私もテレビを見るのは久々なので自然と見入ってしまう。
画面に映っていたのは、身寄りのない全盲の老人だった。その上、震災被害に遭い、仮設住宅で一人暮らししているという事だった。
家具もほとんどない部屋の中、机の上は食べ終わったカップラーメンやらペットボトルのお茶やちり紙で散らかり放題。新年早々、辛気臭い画像だ。
「自分の身の回りの整理整頓も出来んやつは、アカンで。このおっさん、もうすぐ死ぬわ。」
“孤独な老人の一人暮らし”で視聴者の同情を誘おうとしているマスコミの狙いは、飛んだ見当違い、なのか。
「うん、まぁ、でも盲目だったらしょうがないんちゃうかなぁ。」
そう私が言ってもお爺ちゃんは聞こえているのかいないのか、ぶつぶつ言う。
「人間な、身の回りも散らかったままでいると、心まで荒ぶんや。整理整頓も出来んという事は、生きる事を諦めてるのと同じや。な。」
いつの間にか、私に言い聞かせてるみたいだった。
お爺ちゃんは、私の知る限りではいつも横になってテレビを見ているだけだけど、若い頃は真面目で勤勉な公務員だったらしい。
毎日同じ時刻に起き、同じ時刻に寝る、毎日寸分の狂いもなく同じ手順で生活を続ける真面目なお爺ちゃんが、お母さんは嫌いだったといつだか言っていた。
いつもの定位置で横になり、手の届く範囲に新聞とラジオ、テレビのリモコンと蜜柑が並べられている。
「うん、お爺ちゃんは、いっつもきっちりしよるもんね。」
「わしはどんだけ身体がしんどうてもな、整理整頓だけはするで。身体がしんどいからってな、それをせなんだら、余計にしんどなるもんや。」
テレビの画面の中の、盲目の老人からすれば少々酷な話にも思えるが、さすがは年を重ねてきた分、言う事に説得力がある。
お爺ちゃんはもう80歳を超えるが、耳が遠い事以外はなかなか健康だと思う。
いや、それも長くはない。去年、お爺ちゃんは心臓にペースメーカーを入れた。
お婆ちゃんが大動脈の手術をし、お爺ちゃんは「わしがしっかりせな。」と思っているらしかった。
お婆ちゃんの手術は一度成功はしたものの、その後風邪をこじらせたり肺炎にかかったりで、ついには病院から出られなくなってしまった。
病院で一人年を越すのは寂しい事だっただろう。
身寄りがなく孤独なのとは違って、家族がいるのに離れて過ごす寂しさを思うと、いたたまれない。
ここに来る前、お母さんと一緒にお見舞いに行ってきた。
いつもと変わらない様子に見えたけれど、また年をひとつ越してしまったのかというような、切なげな顔をしていた。
1ヶ月か2ヶ月に一度くらい、私はお見舞いに来るけど、お婆ちゃんはその度に「仕事はどや」「お付き合いしてる人はおるんか」「相手はしっかりした人なんか」「結婚はするんか」と聞いてくる。
何度も丁寧に説明するが、何度でも同じ質問を繰り返ししてくる為、そのうち適当な返事しかしなくなっていた。
どうやらお婆ちゃんは、私がお母さんのように結婚に失敗して不幸にならないようにと願っているらしい。
私は、お母さんが結婚に失敗はしたが、それは飽くまで結果的にであって、不幸ではなかったと、思っている。
お爺ちゃんとは全く正反対なお父さんを、お母さんは素敵だと感じたのだ。そこに正解や不正解はないはずだ。
思えばお母さんは今の私と同じ歳で結婚し、子供を産んだわけで、今の私にそんな選択が迫ったとしても自信を持って選べないだろう。
それより、「仕事はどや」と聞かれて、毎回違う事の説明をしなければならないのが辛かった。
次にここに訪ねてくるときは、何て言えばいいだろう。
お婆ちゃんの生きてきた時代と、お母さんの生きてきた時代と、私が今生きる時代、分からないけど多分、違い過ぎて、言葉で説明するには不充分だ。


人生が例えば、ゲームのように、セーブ&ロード可能なら。
あのとき私が選び損ねた道のその先で、私は幸せに暮らしていただろうか。
当たり前だけど、誰にも分からない。イエスやノーの一言で済む話でもない。
けれど考えてしまう、考えても仕方がない事を。
そうか、これを人は“後悔”と呼ぶのだな。

後悔。なんて。
そんな事、今までした事なかった。のは、捨てるものや選ぶ事がなかったから、だろう。
なんとなくそのとき出来る事だけをして、それが最善だと思い込む。
過去やずっと先の未来ではなくて、明日をしっかり見据える事が出来ていた。
でも、それだけじゃダメなんだと世間は言う。ずっと先の未来、というのは、暗いトンネルの先にあるあの光が何なんだって言うようなものじゃないか。
今の私は仕事辞めなきゃ良かったって思っているけど、あのときの私には辞めるという選択肢しか見えなかった。
周りの人間だって「どっちにしろ長くは続かんな」「ダメだこりゃ」としか思えなかっただろう。
私は、今よりもっと良い未来を手に入れる為に、今持っている環境を、人を捨て、その結果何も得られなかった。だから後悔している。
それだけの話じゃないか。
人生は今日の積み重ね。私は世界の仕組みを、まだ知らなかったのだ。

洗濯機のスイッチを入れ、洗剤を流し入れる。溜まった洗いものを洗う。汚れを取る為のスポンジも、洗う。
ごみ、要らないものをまとめて袋に入れる。
いつもの手順で部屋を片付けると、少しだけ気分が落ち着く。
頭の中でパズルのピースが合うように、それが何事でもなかったかのように、結果じゃなくて、次の答えが見つかるように。
「明日、心療内科に行こう。」
いつもと変わらない様子の部屋を見回すと、思う。・・・惨めだなぁ。


ソーダの味がする抗不安剤
まだ、あと少しだけ甘えていたい

時間は止まったり進んだりして
気がつけばもうこんな時間
お腹はすかない
空っぽのはずの内臓が重たくて

甘くて、少しほろ苦い
そんな恋がしたかった
そんな一方的な伝え方で
猫のように可愛がられたかった

自分が安っぽくて、薄っぺらな女だという事は
一度忘れたふりをして
溺れていたかったのに
いたかったのに

夢の中とは裏腹
冷たいあなたが好きだった

頭の中の曇りが晴れない
肩凝りのような頭痛が続く
何もしないからしんどいのだと思って
何かしようとすると余計に身体が重く感じる
寝ても取れない疲れと
食欲というものが無くなった胃

そのうち夢と現実と過去と理想と
何も区別がつかなくなってしまった

今、自分は何処にいるのか


こんな自分を好きだと言ってくれる貴方が
鬱陶しいとさえ思った

先が見えない

何かを得る為に、大切なものを
自分のこの手で捨て去ったけど
結局何も得られるものは無かった

後悔の嵐が夜毎押し寄せてくるけれど
お前のような者はこれくらいが分相応だと、現実は言う

この痛みを全て飲み干す事が
私の受けるべき報いだとして
その後に残るものは
選ぶ余地の無い未来だという事

亀裂の入った心を、半分
割り捨てたら
生きられた
悲しみも半分、幸せも半分
だけど、生きられた

傷は治るものなのだと
痛いのは今だけだと
ずっと言い聞かせてきた
それでも、一度割れたものは
些細なことですぐにまた崩れる

そうだったね、

陽は沈み、また昇るけれど
雨は止み、地は育つけれど
花は枯れ、種を生むけれど

季節が巡り、実を結び
私はまた同じように笑うけれど
根が張り、息は苦しくなる
また同じように眠るけれど

また同じように
生きることはどうしてこれ程に難しくて
生きることはどうしてこれ程に何もない

何もないのに
また同じように、同じように